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昨日、山梨県は小淵沢にて行なわれた「八ヶ岳薪能」に、地謡として参加させて頂きました。 演目は梅若六郎先生の「井筒」、そして、梅若晋矢師の「一角仙人」。若干の短縮バージョンではありましたが、とても幻想的な舞台でした。 会場となる「みそぎ神社」は、以前、二度ほど外観を拝見したことはありましたが、実際に舞台に上がったのは初めて!普段は屋外にあるということから、結果、風雨に晒されている形になっているにも関わらず、驚いたのは本舞台の板が鏡のように輝いていたこと。しかし、さすがに滑りはあまり宜しくない様子で、演者が動くたびに「キュキュ」と鈍い音が響いておりました。 舞台後方には拝殿の間や回廊などがありましたが、とにかく広い広い!誰かがいなければ完全に迷子になるところでした(苦笑) けれども、あのように立派な部屋なども、おそらく神社関係の人でなければ滅多に足を踏み入れることなど出来ないのでしょう。ある意味、貴重な体験だったと思います。 さて、初番は前述の通り「井筒」が行なわれましたが、ちょうど夕刻から日暮れにかけての演能。前シテが幕から橋掛りを静かに歩み出てくる時、西の山辺に傾きかけた陽光がその姿を美しく照らし出し、まさに人工的な明りでは決して出すことのできない天然のスポットライトのようでした。 前場が終り、間狂言を挟んで後場へ。と、その時。私はとある恐るべき事態に気がついたのです。 それは、地謡座に座る自分の左顔を容赦なく襲う「西日」の存在。 実は、前場の辺りから「どうも頭が暑いな〜」と密かに感じていたのですが、なんと、山間部に隠れようとする太陽が、最後の力を振り絞るかのように思いっきり熱い光線を放っていたのです! 気がつかなければまだ意識しなかったものを、それ以降は、まさに直撃する西日との戦い。と、別に激しいバトルを繰り広げたところで敵うはずもなく、ただひたすらにガマンの子でした。 それでも、後半に繰り広げられる「序ノ舞」や「キリ」の部分は本当に幻想的。何より感動してしまったのは、終曲部分でシテが井筒の作り物に駆け寄り、下を覗きながら「見れば懐かしや」と呟く一瞬の静寂のところで、空を渡る鳥の寂しげな鳴き声が静かに響き渡ったこと。野外で演ずる薪能ならではの、自然が織り成す最高の演出効果だと思いました。 先日の「武田神社」では、自身が夢にまで見た地元での(能のシテとしての)初舞台に、とにかく胸がいっぱいでしたが、昨日のように「薪能」というものを客観視することで、また自分が知ることのなかった新たな魅力と言うものを発見できた気が致しました。 冷房の効いた能楽堂で、ひと時の暑を忘れゆったりと能を楽しむのも結構ですが、やはり能は「野外」で生まれた芸能なのだなと、改めて実感致しました。 そう言えば・・・・・・、「武田の杜薪能」の時も、地謡をお願いした同門の皆様が「西日がキツかった〜!」と仰っていましたが・・・・・・。ごめんなさい、このことだったのですね(苦笑) 実は演者にとって知られざる苦労があるのも、「薪能」の醍醐味なのです! |
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