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去る2月8日、同門の大先輩である一人の能楽師が、この世を去りました。 と申しましても、その方は私にとって、ただの先輩ではございません。 言うまでもなく、私がこの道を歩む上での、一番の道標となって下さった御方です。 私がどんな理由で能楽の道を志したのか。また如何なる経緯でこの道を歩むことになったのか。 もしそのようなことを語る時間が用意されたとしたら、私は真っ先にその御方のことから話すつもりでおりました。それくらいに、自分にとってはかけがえのない、大切な恩師の一人でもありました。 その御方との出会いは、本当に小さなきっかけからでした。 たまたま新聞に載っていた公演情報を、母が見つけたのが始まりでした。当時、私は小学校6年生くらい。無論、その時には既に自分は能楽師の道を志していたのですが、山梨県内に住んでいた私には、本格的に能を教えてくれるお師匠が見当たりませんでした。 ただ能の道に進みたいと思っていても、実際に謡や仕舞の稽古すらしていなかったのが現状。当然、その世界へと導いてくださる人も見つからない。それでもこの道を諦め切れなかった私は、少しでも本式の能を観ようと、休日には一人で東京へ赴き、目黒の舞台や国立能楽堂などで能の鑑賞をしておりました。 母がその新聞で見つけた公演の場所も、国立能楽堂でした。しかも私の目を惹く演目でしたので(当時の私は、既に五流全ての能の演目をほとんど網羅しておりました)、この時も一人で東京へと足を向けたのです。そしてその時の公演こそが、その御方との衝撃的な出会いの始まりだったのです。 まず一番に驚いたのは、公演の始まる前に「解説」がついていたということ。それも、当時まだ小学生だった私にとって、その解説内容は非常に分りやすく、学校の授業よりも遥かに面白く興味深いものでした。 さらに驚きだったのは、一通りの公演が終わったあとに、再びシテを勤められたその御方が舞台に上がり、今度は観客との質疑応答にかかるという。さすがに、中には凄まじくマニアックな質問なども飛び交い、子供だった私には到底理解できない内容も多々ありましたが、いずれにしてもこういった形式で行われる公演は初体験であっただけに、子供心にその衝撃は相当なものでした。 帰り際、その御方の著書が受付に幾つか並べられておりました。その時の私が、果たして親からいくらお小遣いを持たされていたのかは定かではありませんが、目の前に置かれていた全種類の本を買い占めて帰路に着いたことだけは、今でも鮮明に覚えております。 「能の道を廃れさせてはいけない」「600年の伝統を絶やしてはいけない」 著書を読み進めていくうち、言葉の端々に見えるその強いメッセージが、幼かった私の心を ―――幼いながらも純粋に、狂おしいほどに能を愛していた私の心を―――強く掴んで離しませんでした。 と同時に、自分を能の道へと導いてくれる何よりの師が、ここにいることを確信しました。 中学三年生の折、鎌倉まで赴いた私は、「自分を弟子にしてください」と頼み込みました。 その時の私には、高校へ進む気持ちは微塵もありませんでした。全くの素人である自分が能の世界に身をおくためには、一日でも早く本職の世界に飛び込むしか方法がない。とにかく焦っていました。親の反対を押し切り、義務教育が終わったらすぐにでも能の道を進むつもりでおりました。―――けれども、はっきりと断られました。 「せめて高校だけは出なさい。万が一、君がこの世界に向いていないと判った時、高卒ならばまだ普通の仕事につくことも出来るだろう」 強烈な言葉ではありましたが、今にして思えば本当に有難い心遣いでした。 結局、高校受験をして合格したらば稽古をつけるとの言葉をもらい、その日からがむしゃらに受験勉強に取り組みました。 稽古は土曜日。学生服のままで三年間、山梨から鎌倉まで往復6時間の道のりを通いました。 言うまでもなく、これまで謡など一声も謡ったことのない全くの素人。それでも、この3年の後には本格的な内弟子修行が待っている。「速成栽培」などと言う言葉は聞こえが悪いかもしれませんが、とにかく出来うる限りのことを叩き込んでくださいました。 かくして、現在の大師匠のところに入門したのが18歳の春。当然、私自身まだまだ未熟だった部分は数知れないほどありましたが、何よりもその道へと導いてくださった御恩は、生涯をかけて忘れられないものとなりました。 先月、鎌倉能舞台で務めさせて頂いた「高砂」の公演が、その御方にとっても最後の舞台であったそうです。 午前中が御子息のシテ、午後が私のシテ。運命と呼ぶにはいささか私情を挟みすぎでしょうか。 2月13日。鎌倉のセレモニーホールで葬儀が行われました。 最後に遺影に映る優しい笑顔を拝したとき、ふとこんなことを思い出しました。 それは今から数年前。いつものように鎌倉の舞台でお弟子様のお稽古を終えた私が地下の楽屋で着替えていると、その御方がひょっこり顔を出されました。 その時はどうされたのか、いつまでも私のそばにお座りになりながら、色んな思い出話をして下さいました。 ご自身が、如何なる思いで一人の能楽師として日々奮闘してきたのか。 その時々に何を感じ、何を考えたか。 正直なところ、私も全く知りえなかったその御方の真実なども、その時には話してくださいました。 一通りをお話になられた後、いつものように目を細めた笑みを残しながら、その御方は一言、私に素敵な言葉を下さいました。その瞬間、私は何故かその御方の姿がほんの少しだけ薄く感じられ、どうしたことか涙が溢れそうになりました。 なぜ、そのような感覚に襲われたのか? いまでも理由は定かではございません。 ただ、いずれにしましても、その時に頂戴した言葉は、いまでも私にとって何よりの宝物となっております。 16年前、父を亡くした後に、たまたま隣の病室で同じくお父様を亡くされたご子息様と、偶然に甲府の街中でお会いしました。当時まだ内弟子だった私は、その翌日、いよいよ矢来に戻る予定でいたのですが、その折にそのご子息がこんな言葉を下さいました。 「遺された人が、頑張っていくしかないんですよね」 至極当たり前の言葉かもしれませんが、この言葉を再び強く心に蘇らせた2月の初めの出来事でした。 |
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