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平成17年4月、甲府市は武田神社にて開催された「第1回 武田の杜薪能」―――。 武田信玄公ゆかりの神社に因み、「風林火山」のうち「風の巻」と名づけた初の催しは、お陰さまで今年の「山の巻」をもって、めでたく計4回の薪能公演を継続することが出来ました。 毎年、平均して800人前後のお客様にご来場頂いたこの薪能。 「いつの日か、山梨の地に能を広めたい。山梨にいながら、本物の能に触れられる機会を設けたい」 幼少期からの夢の実現は、そのまま、当時の自分に向けてのメッセージでもありました。 「薪能を開催すると言うことは並大抵のことではない。また、よほどのご縁と、周囲の方々の協力が得られなければ、それを継続していくことは不可能に近い」 初めて、武田神社様より薪能公演のご依頼を受けた私に、今は亡き鎌倉のお師匠が、温かかくも厳しい口調でご助言下さったことが、昨日のことのように思い返されます。 かくして、第1回の公演は、一千人近い観客の動員で大成功を収めました。「せめて、風林火山のシリーズだけは、何としても継続させたい」――― その思いは、私のみならず、武田神社の宮司様はじめ、この催しをご愛顧下さっている全ての皆様の希望でもありました。 途中に「秋の能楽鑑賞会」をはさむなど、薪能以外の公演もさせて頂きました。その度に、この武田の杜の森閑とした雰囲気と清浄なる空気の中での演能を、多くのお客様がご堪能下さいました。 その年の公演が終わると、もう翌日から「次はいつですか?」「どんな演目をなさるのですか?」」と嬉しいお問い合わせも来るようになりました。 「風林火山シリーズ」と言っても、この4回で終わらせる気持ちなど毛頭ございません。ただ、一つの区切りとして、今回の「山の巻」には、私も並々ならぬ思い入れがございました。 それだけに! 5月最後の週の「週間天気予報」を、こんなにも恨めしく見つめたことは初めての体験でした。(いや、私以上に週間天気予報を睨み付けていたのは「妻」のほうでしたが・・・・・) 5月31日(土)午前5時10分。「第4回 武田の杜薪能〜山の巻〜」当日の朝―――。甲府の実家の屋根を激しく打ち付ける雨の音に、私はもはや眠りを続けることが出来ませんでした。 唯一の希望は、「昼過ぎ頃まで雨、午後は曇り」との予報。それでも、何とした奇跡でしょう! 朝8時半ごろにはピタリと雨も止み、太陽こそ望めませんでしたが、空の雲が次第にまばらに薄くなってきた。テレビでは東京地方の大雨の様子を放映しているのに、ここ山梨県甲府市は、嘘のように一滴の雨も降っていなかったのです。 「今年も何とか乗り切った!」 心中で叫びつつ、仏壇の父の位牌に心から手を合わせました。 さて、ホクホクの上機嫌で神社様に到着したのが午前11時ごろ。すでに客席の準備は着々と進み、音響・照明のスタッフ様たちも慌しく動いていらっしゃいました。毎年目にする嬉しい光景。薪能公演で中心となってくださっている、武田神社の土橋様とがっしり握手をし、まるで雨雲が武田の杜を避けるかのように動いていますねと、笑顔で言葉を交わしました。 何度か、このブログでも記載している通り、今回は地元の相川小学校の児童11名が、「鞍馬天狗」の子方(子役)として舞台に上がります。また重要な「牛若丸」の役には、私が日頃より懇意にさせて頂いている、地元の面打ち師の方のご次男さんが。特に、牛若役の彼とは、半年間に亘り猛烈な稽古を積んできた。今回の舞台に当たり、これまで毎週のように稽古を積んできた子供たちのためにも、今年は何があってもこの武田神社の能舞台で、上演を実現したかったのです。 早速に、東京からいらっしゃるシテ方・囃子方などの皆様に「今日は神社で行います」と確認のお電話。すると、皆一様に「え? 大丈夫なの?」とご返答が。その頃、東京都内は土砂降りであっただけに、甲府市が晴れているなど想像もつかなかったそうです。 さて、開場2時間前になり、当日出演の子供たちも皆集合。早くに現地入りして頂いたシテ方と、ワキの村瀬師にもお立会い頂き、最後のリハーサルを行ないました。さすがに本番当日と言うこともあり、子供たちもやや緊張の面持ちでしたが、普段どおりの立派な姿勢で臨んでくれました。 〜其の弐へ続く〜 |
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